白鷺館アニメ棟

放送中のアニメ作品について、アニメファン歴50年以上という鷺が軽いツッコミを交えて与太話

パリピ孔明 第6話「孔明's フリースタイル」

ちょっと今回のラップはキツかったな・・・

 半ば強引にMCバトルに引き込まれるKABE太人。孔明はMCバトルを通して彼を説得及びラップ魂を呼び起こす工作をって展開・・・は良いんだが、正直なところ今回の内容はキツいよな。

     
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 元々ラップにしないでまともに台詞にしたらかなりクサく相手を挑発しつつ、「お前はそれで終わって良いのか」とけしかけている内容です。それにラップのことが全く分からない(と言うか、端的に言うと全く興味がない)私でも、今回の孔明のはラップになっていないことぐらいは分かります。これが小説やコミックをアニメにする時の問題なんだよな。この作品は孔明が英子の歌に深い感銘を受けて彼女の軍師になることを決意するのが一番のポイントなんですが、正直なところ孔明がそんなに感銘を受けるような歌を歌える歌手(声優)がいない。だから歌の方は適当に誤魔化しましたが(キチンと歌を流さないことが多い)、今回はラップを通して説得する内容だから、ラップをしないわけにはいかないんですよね。

 この辺りが音楽とかをネタにしている作品はしんどい。小説やコミックだとやらなくていいものをアニメやドラマだと何かをでっち上げる必要がある。そうしたらどうやっても作中に出てくるようなスゴイ歌とかなんて出来るわけがない。これが再現しなくていい料理とかだったら、「なんだ!この深くてコクのある今まで味わったことのないような味覚は!」とか適当に叫びながら画面効果を入れとけば味の再現なんて必要ないのですが、音楽とか全く出さないわけにもいかないから。その結果、史上最高の音楽のはずが誰が聞いてもヘボヘボなんてことになっちまう。「のだめ」の音楽がどう聞いても素人レベルだったり、ガラスの仮面ドラマ版の姫宮亜弓の演技がガタガタなんてことになっちまう。

 しかも台詞を完全にラップにしてしまったら、そもそもラップはダジャレとかの言葉遊びのようなものなので、聞いている側は「何を言っているか分からない」状態になってしまうんですよね。だから台詞を台詞として聞かせようとすると、必然的にラップになりにくくなってしまうと言うジレンマ。正直なところ今回は見ていてしんどかったというか、中途半端さに背筋がムズムズするような恥ずかしさがありましたね。

 

 

とりあえずこれで駒は揃ったようですが

 で、何かKABE太人のライバルだった赤兎馬君が完全に解説者になってましたが、あれ見ながら思わず「頭文字Dか」って呟いてしまいましたね。あの作品って、今までのライバルが次の戦いの時に解説者ポジションになる展開が多かったですからね。まあ今回の場合解説を入れないと何が何やら分からなくなるので、赤兎馬君が起用されたのは分かりますが。それにしても彼って、見た目のおっかなさに反して心底良い奴じゃん。

 まあ要するに何をやっても普通で目立たないKABE太人君にとって、そんな自分から踏み出す手段がラップだったと言うこと。どうも彼とていきなり天才だったわけでなく、ラップに関してはそれなりに研鑽も積んだようであることは示してましたね。孔明は万全の事前リサーチに基づいて、彼がそういう過去を思い出すように仕向けていたということで、この辺りはまさに孔明の策略。とりあえずこれで彼を立ち直らせると共に、強力な味方を確保ってことですか。だけど正直なところ、ラップに全く価値を感じていない私には、なぜラッパーが必要なのかはよく分からん。

 

 

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