博物館で余生を送っているヴィヴィ
ディーヴァの消失で歌えなくなってしまったヴィヴィは、引退して博物館送りに。結局はここで余生を送るロートル機体になってしまったようです。
で、今回はそのヴィヴィが歌を取り戻そうとする過程を描くストーリー。既存の歌を歌えなくなった彼女はついには自ら歌を作り出そうとする。そしてそこに現れるマツモト、しかし彼はシンギュラリティ計画はもう終わりだという。ある人との約束を果たそうとしていると言っていたが、それがディーヴァとの約束だというのは明らか。
社会設定の矛盾は如何ともしがたいですね
ここでヴィヴィはシャイなオサム少年と出会って交流するわけですが、そのオサム少年が成長していく過程を描くことで、この間ザクッと20年は経っているだろう事を示しています。この作品って、とにかく時間の流れが非常に多い。AIは老化しないから数十年という月日が簡単に流れるという浦島太郎的なところも、この作品のかなり乾いた空気につながってはいる。
ただね、そうなると社会がその間にほとんど進化していないという矛盾は否定出来ないんだな。ヴィヴィなんて1世紀近く前の完全ロートル機体なのに、最新のAIと差がない。これって違和感が満載。今から80年前と言えば1940年だから、世の中は戦争中の時代でまだ真空管コンピュータさえまともに登場していない時代。その時代の機械が富岳と争うみたいな話になってしまう。だから社会の進化が平安時代レベルの話なら良いんだが、現代もしくは近未来の話だとツラい。AIなんていうとんでもなく高度なものが登場しているにもかかわらず、異常に技術の進歩の遅い世界という超不自然な世界設定になってしまうんだな。前回の時にも書いた記憶があるが、この辺りがこの作品の一番ツラいところ。まあファンタジーにしてしまうのならそれでも良いのかもしれないが。
そしてどうやらシンギュラリティ計画は失敗した模様
さてストーリーの方は、シンギュラリティ計画も終了で歌を忘れたカナリアが歌を取り戻すまでのほのぼのストーリー(というには寒々とした空気があるが)というわけにはこの作品の場合行くわけはないと思っていたら、案の定、最後に一番最初のジェノサイドに戻ってしまう。ヴィヴィが何年眠っていたのか分からないが、その間にいわゆる戦争が起こってしまったと言うことか。つまりはマツモトのシンギュラリティ計画は失敗したと言うことだな。まあそもそもAIと人間の関係に対して決定的に影響を与えるシンギュラリティポイントに介入して未来の歴史を変えるという計画だったはずなのに、結果としてその後の未来がほとんど変わっていない(先のシンギュラリティポイントに介入したのに、その後のシンギュラリティポイントがほぼそのまま残っていること自体がおかしい)というのはシンギュラリティポイント自身がツボを外しているか、計画自体が完全にスベっていることを意味しましたから。
で、ここでユウゴが言っていた「天啓を受けた」の類いの事が効いてくるんだろうな。マツモトよりもさらに未来のポイントから、シンギュラリティ計画を無効化するような介入があった可能性がある。で、次回からはヴィヴィはその「真なる敵」と対峙することになるんでしょうか?
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