白鷺館アニメ棟

放送中のアニメ作品について、アニメファン歴50年以上という鷺が軽いツッコミを交えて与太話

君たちはどう生きるか

完全に事前情報を伏せて上映された宮崎駿監督の新作

 宮崎駿監督によるジブリの新作である。なお表題はかつて有名になった書物から取っているが、それをアニメ化したのではなく、あくまでモチーフの一つに過ぎないという辺りは宮崎駿監督らしいところ。

(C)2023Studio Ghibli

 なお本作に関してはなるべく先入観なしで鑑賞してもらいたいとのことから、事前に内容に関する紹介は全くなく、宣伝も最小限という形が取られていた。そのために私も本作のことを知ったのは5日前という状態。なお劇場においても映画パンフは公開後に販売するとのことで置かれていないという徹底ぶり。そういうことから製作者の意図を尊重したいと考える向きは、以下の私の解説はどうしてもネタバレにならざるを得ないので、自身でこの映画を鑑賞するまで読むのを控えて頂いたほうが良いと考える。

     
有名なこの作品との直接の関連はかなり薄い

 

 

見事なまでに反戦メッセージがないのが、今までのジブリ作品では異例か

 本作の主人公の真人は第二次大戦中に母親を病院の火事で失っている。彼の父はそのごに妻の妹のナツコと再婚し、真人は父親に連れられてナツコが暮らしていた田舎の屋敷に移り住むことになる。そこで真人が出くわす不思議な出来事から始まる冒険が本作の内容である。

 今までのジブリ作品と比較すると違和感を持つのは、戦時中を舞台にしているにもかかわらず、反戦的なメッセージは見事に全くないことである。真人の母親の死亡も特に空襲によるものということではなく単なる火災であるようだし、真人の父は軍事関係の工場を経営しており、むしろ戦争成金の側である。そしてそのことを特に卑下するわけでも責めるわけでもなく、単に子供に少々甘いところのある良き父親として描いている。

 前作の「風立ちぬ」は宮崎駿の航空趣味が露骨に出た映画だったので、反戦色はほとんどなかったが、それでも主人公にとって「結局は戦争の道具の製造に利用された」という事実は一抹のほろ苦さとして触れられていた。しかし本作では、確かに真人は争いのない平和な世界を作りたいという気はあるが、最終的にはこの愚かにも人が傷つけあう世の中をあえて選んで戻ってくるのである。そのために作品自体に拍子抜けするほどの軽さを感じる部分がある。

 

 

テーマ自体は「継母が本当の母になるまで」の物語か

 それよりも前面に出てくるのは、真人と継母であるナツミの関係である。なお妻と死別したからその妹と再婚というのに「?」と感じる人もいるかもしれないが、それについては昔は特に普通によくある事例だった言っておく。

 この真人とナツミの関係であるが、作品を見ていたら分かるように最初から非常に微妙なのである。表向きは真人は真面目な子供であるので、ナツミに対して目に見えるような反抗はしない。またナツミの方も基本的に「良い人」であり、姉のこともあるので精一杯真人の良き母親になろうと気を使っているのが見える。しかしどうしても両者ともに本音の部分ではギスギスした関係は否定できない。象徴的なのは、真人が常にナツミのことを「父の好きな人」と表現することである。

 このために真人は失踪したナツミを探しに行った時も、最初は「母親を救い出す」というよりも「彼女がいなくなると父が悲しむ」から救いに行くというニュアンスである。しかし同様の微妙な齟齬や距離感は当然にナツミの方も本音では抱いており、それが迎えに来た真人を最初は拒絶して「あなたなんて嫌い」という言葉につながる。ここで初めて彼女は真人に対して本音で接したとも言える。だが本音と本音がぶつかり合うことによって人は初めて深く理解し合うこともできる。この時に真人が言った「ナツミ母さん」という言葉が初めて真人が彼女を母と認識した言葉であり、それで心を閉ざしかけていたナツミの方もハッとして正気に戻るのである。

 

 

ジブリらしさ、宮崎駿らしさは満載されている

 当然のように真人もその境地に一気に達するわけではなく、アオサギの誘いに乗ったのも最初はナツミを助けるという意思が半分、アオサギの言った「母が生きている」ということを確認したいというのが半分であった。それが異世界でさまざまな仲間と共に冒険を重ねていく内に母親に対する気持ちに整理をつけていき、自分にはどうしてもナツミを連れて帰らないといけない理由があるということに気付いていく過程になる。これがジブリの作品に不可欠の「主人公の成長」要素である。

 とにかく一見してジブリらしさが宮崎駿らしさが満載されていることは分かる。特に後半の異世界における冒険は「千と千尋の神隠し」を彷彿とさせるし、「ラピュタ」さながらのアクションもある。そして最初は敵側の立場で登場したキャラが、話が進んでくるにつれて明確に「友」へと変貌するというのも、宮崎駿作品のお得意のパターンでもある。人として生まれ変わるという何とも愛らしい「ワラワラ」などの生物はまさに「トトロ」に出てきたまっくろくろすけに通じるものがある。

 タイトルを聞いた時に私は、下手したら宮崎駿の悪癖の一つでもある説教臭い作品になるのではと警戒したのだが、その危惧はものの見事に粉砕された。要は終わってみたらごく普通のジブリの冒険ものであった。

 

 

ただし評価は微妙なところもあると思う

 ただそれだけに作品としての評価は微妙なところもあると思う。説教臭さは影を潜めた代わりに、いささかメッセージ性の薄さがある。なお「千と千尋の神隠し」のような作品もあるので、必ずしもメッセージ性の薄さが作品として駄目だということにはならないが、冒頭に言った一種の軽さが浅さにつながりかねない感がある。

 それよりも気になるのは前半と後半の取ってつけたようなつながりの悪さだろう。何やら「火垂るの墓」に「千と千尋の神隠し」をつないだようなギクシャクした感が作品から感じられた。結局は後半の方が主題であって、前半がそれに達するまでのおぜん立てとして考えれば、いささか回りくどく感じられ、正直なところ前半がややダレた感が無きにしも非ずである。

 また真人の叔父の「世界を構築する」という突飛な設定が、最終的には効果を上げていたとは言い難いところがある。彼は真人にこの世界の管理を託そうとするのだが、真人はそれを拒絶する。それに対しての叔父の反応や対応が今一つスッキリ来ないのである。また途中で登場したヒメが真人の母親であることは作中で推測が付き、真人も途中でうすうすそれに感づいていた節もあるのだが、その辺りの扱いも結局はどうもスッキリしないところがある。真人とナツミの関係性に焦点を当てた分、その周辺があいまいになってしまったような印象を受ける。

 とは言うものの、総じて出来は悪いものではない。分かりにくい、スッキリしないという点では「ハウルの動く城」の方がよほど訳の分からない話だった。最終的には十二分に楽しめるジブリ映画ではあるのである。