奴隷でなくなるには教育が重要というお話
今回はソーマが奴隷解放に挑戦しますが、そのためには・・・というお話。今回のサブタイトルは元々は平安時代の「実語教」という指導書に記されている物で、福沢諭吉もこれを引用しているという。要は学ばないと知恵は付かないし、知恵の無いものは愚か者であるという、学生時代に勉強を全くせずに大学を裏口卒業した某大者政治家などに聞かせたい言葉である。
要は奴隷身分から解放するには教育を行って、自ら生きていく術を与えないといけないというお話。実際にアメリカは南北戦争で奴隷が解放されたとされているが、学もない生きる術もないという状態で放り出されても結局は貧困から抜け出すことが出来ず、その後も人種差別が残ってしまったということがある。やはり生きていく手段というのは必要であり、そのためには教育は基本である。
ローマ時代にはギリシア人の奴隷なんかもいたらしいが、ギリシア人の奴隷は学があるために家庭教師なんかもしており、奴隷と言っているがその実は使用人のようなものである。つまりは奴隷を脱するにはどれだけ教育を付けるかというのは昔から侮れない。その一方、奴隷ではないはずなのに、教育を奪われて実質的に奴隷身分に落とされつつあるのが現代の日本の庶民。奴隷社会を作りたいと思っている奴は、まず庶民から教育を奪おうとする。その第一段は教育費をべらぼうに上げて庶民の子弟は学校に通えなくすること。日本はこの30年ぐらい順調にその路線を進んだ挙げ句、今では現代の奴隷商人・竹中平蔵がウハウハの国になってしまったと。
国の内部を変えていくという内政物語
で、今回登場するのはその竹中平蔵とは真逆に、自分の元にいる奴隷達が少しでも良い環境にいけるようにと彼らに教育を付けようとした奇特な奴隷商人。本来ならただの奇特な人物で終わってしまって時代に抹殺されかねないところなのだが、ちょうどソーマが目指していた「実質的奴隷解放政策」と合致していたために、ソーマ直々の指令で奴隷達の職業訓練施設の運営を任されることになったと。まさに凪が終わって、潮目が唐突に変わった瞬間でしたというお話。
それにしてもソーマの意向で統治能力を問われることになった貴族連中はてんやわんやだったようだ。騎士なんかはそれまでは戦争に強ければ良いという脳筋も多かったろうから。ちょうど戦国の武士が江戸時代になってお役人になることを求められた時のドタバタそのもの。あの時も脳筋の奴らがパニックになってドタバタがあったようだ。結局は対応できずに「待ってました」とばかりに秀忠とか家光に因縁付けられてリストラされた大名も多かった。それと同じ変化が王国内で始まっているということのようで。
と言うわけでアミドニアとのドタバタが決着ついたら、またも地味な内政物語になりました。こういう「ベースが地味な内容が多い」ってのが本作の最大の特徴ではあるんだが、所々やけに説教臭いところがあるのがややひっかかるんだよな。かつて仮想戦記でご都合主義満載の理想的日本国を「シミュレーション」と称して偉そうにご高説垂れていた作品があったが(シミュレーションという割には数字的理論的厳密性が皆無だった)、下手すればそれと同じことになりかねない。
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