白鷺館アニメ棟

放送中のアニメ作品について、アニメファン歴50年以上という鷺が軽いツッコミを交えて与太話

ぼくたちのリメイク 第6話「なんとかしようって」

貫之の学費稼ぎにゲーム制作に挑むが

 次は貫之の問題が発生したか。まあお約束通りだな。しかし金銭的な問題ってのは学生にとっては一番重い問題でもあります(社会人にとっても軽い問題ではないが)。で、それを解決するために恭也が考えた方法は同人ゲームを作成して売り上げを上げるか。もっともいきなり同人ゲームで学費を稼げるぐらいの収益を上げるのは通常は不可能だから、そこで既に有名なサークルの知名度に乗っかるというのは、流石に社会人経験があるだけに非常に現実的な手法。まあ本人も自覚している通り、いささかズルい手ではあるが。

     
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 もっとも問題なのは、恭也の時代分析からウケ線は学園恋愛ものと読んだのは正解だが、手がけるチーム北山の面々の作風とそれが合致していないこと。貫之は特に一番の矛盾を感じている模様。どうも貫之はファンタジー系統のシナリオならスラスラ書けそうだが、流石に学園恋愛ものは書きにくいだろう。実際彼が言っていることは良く分かる。特に何の切っ掛けもなかったのに、主人公の周りの美少女達が主人公に好意むき出しで接近はかってくるなんて超ご都合主義の展開は、まともなシナリオ考える者には不自然すぎて納得いかないわな。それに文体のことを言われていたが、文体を意図的に変えるってのは商売考える上では不可欠だけど、ライターとして考えた時にはそれはかなりの苦痛。下手すれば本来の自分の文章が分からなくなる危険も秘めている。恭也がこれを切っ掛けにスランプに落ち込むという危険も秘めている。同様に奈々子もシノアキもシックリいってないようだし。

 

商業主義に偏りすぎていることが作家性に悪影響を及ぼす可能性

 目下の恭也は「金を稼ぐ」という目的を最優先して、ビジネス面を前面に出しているが、果たしてそれがクリエイター肌である彼らにどう影響するか。実際にクリエイターとして大成することを考えると、ここで中途半端に商業主義と折り合いつけてしまうのは結局は彼らの成長の芽を摘む可能性もある。後に名作として不動の評価を得ている作品も、発表当初はビジネス的には失敗したという例は少なくないし、逆にビジネス的には大成功したにもかかわらず、後に完全に忘れ去られている作品というのもやはり少なくない。

 実のところ私も文筆業で食っていけないかということを考えた時期もある人間なので、貫之の戸惑いが一番理解出来る。まあ私の才能は彼とは比較にならないぐらい低いので彼と同次元の話は出来ないが。私の場合はそもそも自分が小説向きでないことを痛感し、この世界で食べていくつもりならやはり小説書けないというのは致命的だと判断したことで断念したのだが(もっとも、今時のラノベレベルの文章で通用するなら書けたかもという気は今でも少しはある)。正直なところ私にも「あの時にあっちに行っていたら」というポイントが20年以上前にあったのだが、あっちに行ったら行ったで今頃野垂れ死にの可能性あり。良くても転生前の恭也に近しい状況になっていたというのがせいぜい。

 と、ついついジジイの昔語りになってしまいましたが、まあこの作品見ている視聴者なら多かれ少なかれ「あの時にああしていたら」っていうのがあるんじゃないかな。そういう層にアピールする作品だろうし、本作は。もっとも私の場合は、既に今からやり直し効く年齢を過ぎているので、抉られて痛いという感覚が常にあって、実は苦痛もあるのだが。

 とにかく今回の試みは、貫之を助けるつもりで結果として逆に彼を追い込んでしまう可能性あり。20才ぐらいの時の私を思い出すと、バリバリのSFものもしくは冒険ファンタジーものなら書けるが、ヒロインが「にゃんにゃん」言いながら主人公に迫ってくる作品なんて書けるかってなるもの。

 

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