白鷺館アニメ棟

放送中のアニメ作品について、アニメファン歴50年以上という鷺が軽いツッコミを交えて与太話

劇場版「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」

テレビシリーズの後日談として凝った形で始まる

 戦場で兵器として育てられ、それ故に人間的な感情の機微を理解できなかった少女が、戦争後の世の中で手紙の代筆人として様々な体験をしていく中で、人間の感情をひいては自分自身の内面の感情を理解していく過程を淡々と美しく描いていったのが本作のテレビシリーズであった。本映画はそのテレビシリーズの後日談という形になる。しかも最初はテレビシリーズから数十年は経った時代に、ある少女がふとしたことからヴァイオレットのことを知り、その足跡を追っていくという凝った形での構成になっている。

 ストーリーのきっかけがテレビシリーズ第10話の後日談ということがあり、自然に過去の物語へとつながっていくのだが、その辺りの構成は実に巧みである。本作において、テレビシリーズにおいて未解決となっていたヴァイオレット自身の問題が解決することになる。

 なおまだ本作を見ていない人で、映画を新鮮な気持ちで見たい人は以降はネタバレを含みますので読み飛ばしてください。なお本作を見るかどうか迷っている人には結論から言いますと「見に行った方が絶対良いです」。

 

キャラクターの描き込みの巧みさ

 テレビシリーズの時から本シリーズはキャラクターの感情の機微の表現が実に細かくかつリアルであったのだが、その点は相変わらずである。また徹底的に描き込んだ美しい画面もそのまま。本作ではこのシリーズの核心であるヴァイオレットの問題のみでなく、そこに病気の少年ユリウスのエピソードを付け加えることで、ヒロインのキャラクターをさらに描き込むことにつなげている。またヒロイン周辺のキャラクターも本作でかなり深めている。ヴァイオレットに対して保護者的な立ち位置から常に彼女のことを気遣っているクラウディアの「もし将来に娘が出来たらとてももちそうにない」という台詞など、笑いが出つつも彼がいかに真剣にヴァイオレットのことを考えているかが覗える。

 ある意味、本作で一番キャラが深まったのはギルベルトの兄のディートフリートだろう。テレビシリーズでは彼は、あくまで冷淡でヴァイオレットに対して複雑な反感を抱いている人物という域から出なかった。その微妙な関係は本映画の序盤にも現れており、墓地でディートフリートに対した時のヴァイオレットのやや余所余所しい態度などにも現れているが、もっとも端的に現れたのがポケットに手を入れたディートフリートに対し、ヴァイオレットが咄嗟に戦場において敵に対すると同様の対応をしてしまうシーンである。平和時における生活が数年に及んでもなお、未だにヴァイオレットの中では戦争が必ずしも終わってはいないということと、彼女が内心においてディートフリートに対して警戒心を抱いていることを示している。

 それが船の整理においてギルベルトの思い出をヴァイオレットと語り合うことで両者の関係も変化する。またこの時にディートフリートはどうも偽悪的態度をとりがちである自身の内面の屈折も率直に語り、ヴァイオレットはこのディートフリートから、兄弟の関係や複雑な情のようなものを学ぶことになる。そしてそのことがユリウスとのエピソードにも反映する形になる。

 

ついにギルベルトが現れる

 物語中盤以降になって、ついに核心の人物であるギルベルトが登場するのであるが、深く傷つき、それ故に頑なにヴァイオレットとの対面を拒む彼の態度には観客もやきもきさせられるところである。彼の態度にこそ本作のテーマとも言える「人は必ずしも自分の本心に素直になれるとは限らない」という事実が現れている。観客は彼の態度に対して「何をゴタゴタ言って自分で全てを背負い込んでいるんだ」と言いたくなるところだろう。作品中においてのクラウディアの「ドアを蹴破ってあいつを殴り倒してでも」という台詞やディートフリートの「今はお前を麻袋に詰め込んでヴァイオレットの前に投げ出したい」という台詞はまさに観客の心理の代弁であろう。

 本作ではその「必ずしも自分の本心に素直になれない」人間の本心を引き出すアイテムとして手紙を用いている。それはユリウスのエピソードでも生きているし、ギルベルトのエピソードでもキーとなった。その一方で時代の変化の象徴としての電話も本作では登場しており、ユリウスのエピソードのクライマックスで電話が登場したように「思いを残す手紙も重要であるが、言葉で思いを伝えることも重要である」というエピソードも秘めている。ギルベルトも結局は手紙で心の鎧を打ち破られ、ついにはヴァイオレットに自身の本当の思いを言葉で語っている。

 非常に美しい人情物語、恋愛物語としてまとめ上げた作品と言える。また数十年後の視点から描いたことで、最終的に「こうして二人は幸せに過ごしました。目出度し目出度し」というオチをくどくならない形で綺麗に付けることが出来ている。この辺りもなかなか巧みであり、かような凝った作りをわざわざ行った意味を感じさせている。

 

 いやー、見事な「泣かせ映画」でした。不覚にもユリウスのシーンで1回、ヴァイオレットとギルベルトのシーンで1回(船から海に飛びこむヴァイオレットに「そんな無茶な」と思いつつ、その後の海の浅瀬で2人が向き合うシーンの美しさに胸を打たれた)、そしてラストの手紙に纏わるシーンでもう1回と、不覚にも都合3回号泣かせられてしまいました。映画館においていい年こいたオッサンが映画見ながら号泣してるんですから、まあある種異様で情けないシーンでもあります。